第28話:【われわれの知能のほうこそが、人工知能になってしまうのだ】
【われわれの知能のほうこそが、人工知能になってしまうのだ】
     ーー第27話の余話ーー
(ニコラス G. カー『ネット・バカ』篠儀直子訳、pp.304-309、青土社より)

  新たな情報環境がわれわれを作り直しつつあると論じている点で、この書き
  手たち(筆者注:この前記において「われわれは、より機敏にデータの消費者
  へと『進化』するのだ」、「脳の配線は、より多くの情報をより効率よく処理
  出来るよう必然的に変化するだろう」と述べられている)は確かに正しい。脳
  の深部に組みこまれている、われわれの精神の適応能力は、知性の歴史の基調
  を成している。だが、この書き手たちの保証が安心感を与えてくれるとしても、
  その安心感はきわめて冷たい種類のものだ。適応によってわれわれは環境にマ
  ッチした存在になるが、この適応プロセスは質的には中立である。最終的に重
  要なのは、われわれが変化する過程ではなく、何にわれわれが変化するかだ。
  1950年代、マルティン・ハイデガーは次のように述べた。前方に立ちはだかる
 「テクノロジー革命の波」は、「人間を非常に魅惑し、魅了し、惑わせ、欺く
  ものであるので、いつの日か、計算的思考だけが唯一の思考方法として、受け
  入れられ、実践されるようになるかもしれない」。「瞑想的思考」に従事する
  能力を、ハイデガーは人間性のまさに本質と見なしているのだが、脇目もふら
  ぬ進歩の犠牲に、これはなってしまうかもしれないと彼は言う。テクノロジー
  の騒々しい進歩は・・・(一部略)・・・思索と考察からのみ生まれる洗練さ
  れた認識や思考、感情を、かき消してしまうかもしれない。「テクノロジーの
  狂乱」は、「あらゆる場に定着する」恐れがあるとハイデガーは述べる。
  われわれはいまや、この定着の最終段階に至ろうとしているのかもしれない。
  狂乱を、魂のなかへと迎え入れようとしているのだ。
               ・・・(中略)・・・
  テクノロジーの誘惑は抗しがたいものであり、スピードと効率性が純粋な恩
  恵であるかのように見えるこの即時情報時代において、これらは議論の余地な
  く望ましいものであるかのように見えている。だがわたしは、コンピュータ・
  エンジニアとソフトウェア・プログラマーたちがわれわれのために脚本を書い
  てくれている未来へ、われわれは大人しく入って行きはしないだろうという希
  望をいまだ持ちつづけている。ワイゼンバウムの言葉[筆者注:ワイゼンバウ
  ム著『コンピュータ・パワー』(1976年、サイマル出版会)より。その要旨は
  「コンピュータは規則に従うのであって判断は行わない。主観性の代わりにコ
  ンピュータが提示するのは定式である。・・・能力のなさゆえにではなく、特
  別な才能のひらめきゆえに、決まりごとから逸脱した考えや書き方をする希少
  な人物を、”人工知能を基盤とした小論文自動採点システム”はどうやって見
  分けるのだろうか。ーー見分けられまい」]を心に留めてはいないとしても、
  われわれはみずからこれを考察し、何を失いそうになっているかに注意を払う
  責任がある。「人間的要素」は時代遅れで無用なものだという考えを、疑うこ
  となしに受け入れてしまったとしたら、とりわけ、子どもたちの精神の育成と
  いうことを考えた場合、それは何と悲しいことであるだろうか。
               ・・・(中略)・・・
  わたしは、『2001年宇宙の旅』の、あのシーンについての記憶を再び呼び起
  こす。アナログな少年時代のまっただなかだった1970年代に、初めてこの映画
  を観たとき以来、ずっととり憑いて離れないシーンだ。このシーンをかくも痛
  烈で、かくも奇妙なものにしているのは、精神が解体していくことに対する、
  コンピュータの感情的なレスボンスだろう。回路が次々閉じていくことへの絶
  望、宇宙飛行士に対する子どもじみた懇願ーー「わかるんだ。ぼくにはわかる
  んだ。こわいよ」ーーそして最終的に、無垢としか言いようのない状態へとそ
  れは戻っていく。 HALの感情の吐露は、この映画に登場する人間たちが、ほと
  んどロボットのような効率性をもって作業を行なう、感情を持っていないかの
  ような存在であることと対照をなしている。ここでの人間たちの思考と行動は
  脚本にのっとっているかのようであり、あたかもアルゴリズムの手順に従って
  いるかのようだ。『2001年宇宙の旅』の世界では、人間はきわめて機械的にな
  っていて、登場人物のほとんどは機械も同然になっている。それこそが、キュ
  ーブリックの暗い予言の核心であるーーコンピュータに頼って世界を理解する
  ようになれば、われわれの知能のほうこそが、人工知能になってしまうのだ。