第20話:【そのときはすでに手遅れだった】
【そのときはすでに手遅れだった】
 なんと、今国会では防衛庁を防衛省に昇格させようとしている。委員会では憲
法改悪のための国民投票法まで作ろうとしている。憲法は権力の暴走の歯止めだ
からこの国の性悪で不勉強(過去に学ばない)でゼニに卑しい政治屋さんにとっ
てはうっとうしくて仕方がないらしい。
 筆者は先の沖縄知事選挙(11月19日投票)を、日本の行く末を決める大きなフ
ァクターとして注目していた。選挙戦の争点は「基地」だった。「基地」は戦争
と切り離せない悪魔の道具である。筆者は基地の移転・存続ではなく、基地の廃
止を強く望んでいた。特に沖縄の人々は先の大戦で残酷・残忍・悲惨・悽惨をは
るかに通り越した阿鼻叫喚の地獄を味わったはず。基地の廃止を訴える候補の大
勝を期待していた。
 ところが結果は悪い方に行った。あの 3万票の差が大差なのか僅差なのか。筆
者には基地が支える沖縄経済の影響の結果としてなかなか縮まらない大差のよう
に思える。選挙前のタカ派と目される政治屋の沖縄経済を担保とした脅しが効い
たのだろう。ここに民主と自由を制限する国策が根を張りめぐらせていることの
一部を垣間見た。

  若キ婦人ハ率先軍ニ身ヲ捧ケ 看護婦烹飯婦ハモトヨリ 砲弾運ヒ 挺身斬
 込隊スラ申出ルモノアリ 所詮敵来タリナハ老人子供ハ殺サレルヘク 婦女子
 ハ後方ニ運ヒ去ラレテ 毒牙ニ供セラレヘシトテ 親子生別レ 娘ヲ軍衛門ニ
 捨ツル親アリ 看護婦ニ至リテハ軍移動ニ際シ衛生兵既ニ出発シ身寄リ無キ重
 傷者ヲ助ケテ・・・沖縄県民斯ク戦ヘリ 県民ニ対シ後世特別ノ御高配ヲ賜ラ
 ンコトヲ・・・(海軍根拠地隊司令官・大田実少将からの海軍次官あて電報
 (S20.6.6)より)

 ”県民に対する後世の特別の御高配”が今のような現状では恐ろしい限りだ。
 中井久夫氏の『樹をみつめて』の中で「戦争と平和についての観察 4.戦争準
備と平和の準備」を読むと、筆者は現在の日本では氏の考察通りの”戦争準備”
が着々と進行しているように思えてならない。この本は精神医学から戦争と平和
をみた時どのようにみえるのか、これほど透徹した考察は他にないように思う。
読者の一読を期待したい。その一部を紹介すると、こんなことが書いてある。
 「平和は”状態”であり、エントロピーの低い(平和)状態を維持する事はま
ことに難しいことです。常に負のエントロピーを注ぎ込んでいなければならない
のです。実際平和は積極的に構築するものであります」。
 そして、辺見じゅん氏は『戦場から届いた遺書』(文春文庫)のなかでこう述
べている。「誰しも戦争には反対のはずである。だが、戦争は起きる。現に、今
も世界のあちこちで起こっている。日本もまた戦争という魔物に呑みこまれない
ともかぎらない。そのときは必ず、戦争を合理化する人間がまず現れる。それが
大きな渦となったとき、もはや抗す術はなくなってしまう」。
 今回の沖縄知事選挙は、日本国民が平和の維持を選択するのか、再び悲惨な戦
争に向かって突き進むことを選ぶのかを占う大きな意義を持った選挙だった。し
かし残念ながら戦争好きの権力の欺瞞に満ちたプロパガンダと、経済的脅しに屈
した形で決着がついてしまった。
 戦争はそれを体験した世代が居なくなるとともに始まるという歴史の皮肉が厳
然と存在する。今の日本の平和は国民の皆が心血を注いで維持しなければならな
いものなのだ。実際のところ、何の権力も持たない権力に翻弄され蹂躙される運
命にある我々一般庶民は、下記のニーメラーのエピソードを教訓にして反戦・非
戦の誓い新たに、先の無謀な戦争で亡くなった先人の魂魄を背負って日本中を覆
い尽くさなければならない。

  かつてドイツでヒトラーの独裁体制が暴威を振るいましたが、ナチスが権力
 を獲得していく過程を、後にニーメラーという牧師が回想して語った有名な話
 があります。「ナチスが共産主義者を襲ったとき、自分は少し不安であったが、
 自分は共産主義者ではなかったので、何も行動に出なかった。次にナチスは社
 会主義者を攻撃した。自分はさらに不安を感じたが、社会主義者ではなかった
 から何も行動に出なかった。それからナチスは学校、新聞、ユダヤ人などをど
 んどん攻撃し、そのたび自分の不安は増したが、なおも行動に出ることはなか
 った。それからナチスは教会を攻撃した。自分は牧師であった。そこで自分は
 行動に出たが、そのときはすでに手遅れだった」。(吉田敏浩氏著『ルポ 戦
 争協力拒否』岩波新書)
                      平成18年12月1日 鳥越恵治郎